4月でフリー生活丸一年経過してしまう

兄が3度目の脳出血で東京での生活の意義をなくし、体に不安を持ち合わせながらなら北海道に戻ったほうがいいと、引っ越しも段取りから手続きからこちらで全部引き受けたようなかたちで、近場のサービスつき高齢者住宅に住むようになってやや2年。

時を前後して実家にいた母親も高齢からくる病とでも言おうか、なかなか弟夫婦もたいへんで同じくサ高住にお世話になっていた。

妻も母親の病院にも頻繁に付き添うことが必要で、3人とも介護に携わなければならなくなったことも退職後のフリー生活を選んだ一つの理由である。

どうしてもどこかに属して働くとなれば、時間の融通が取れない。また兄もまだ年齢的は若いので復活の時間も手助けしてあげないという気持ちもあった。

そういう中で退職を迎えたが、コロナ禍の折、どこにも身動きが取れず、病状の進行なのか、また人生に妥協してしまったのか、兄はボーっと無気力な日々を過ごすことに慣れてしまっかのよう。
こちらもその無反応に手を焼きモチベーションも保てず、いつしか病院以外は、すっかりサ高住のスタッフにお任せ模様となってしまった。

こうしてフリー生活一年が経過しようとしているが、時間の余裕と多少のプレッシャーからは解放されているので気持ちはラクなのは間違いない。

でもあきらかに悶々とすっきりしない日々を漠然と過ごしてしまっている。

そして自らが進んで面倒なこと、手間なことに関わることを避けようとする「そんなに無理すんな」のささやきが聞こえ始めているような気がしてならない。

こんな政情不安の中でも自分だけがこんなヌルヌルなことしてていいのか。

これからの一年が自分にとっての正念場とも思う。
ここに甘んじることは許されない。

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